ボランティアを通じて学んだこと

ボランティアを通じて学んだこと

今でも忘れることができないことがある。

2011年3月11日に起こった東日本大震災だ。

 

当時の私は、大学2年生で、ソフトボールサークルに所属していた。

2泊3日のソフトボール合宿に参加するということで、神奈川県の三浦半島にある運動施設にきていた。

 

合宿初日の練習中、

私は、守備につき、高く上がった白球を追っていた。

が、私は、転んでしまった。

「なんでもないところで、こけるなんて…」

と思った瞬間、地震だということに気づけるくらい大きな揺れを感じた。

 

大きな地震だったため、合宿施設のアナウンスが流れ、高台に避難することになった。

緊急を要したため、ソフトボール用品をそこに置いたまま、避難をすることを余儀なくされた。

 

私が、この世に生まれてきて、

このような事態に遭遇したことがなかったので、ものすごく緊張した。

 

というのも、目の前には、大きな太平洋が広がっていたからだ。

津波がくるかもしれないということで、宿舎にある携帯電話をとる数秒の時間さえもを許されなかった。

 

いざ高台に避難すると、宿舎に止まっていた多くの人と対面することになる。

寝床を確保するために、私たちは、重い荷物を運び、準備に動いた。

日もだんだん落ちてくる。

 

あかりのない体育館のような場所に、大人数が固まっていた。

子供が泣き出す声も聞こえてきて、余計に不安な気持ちになった。

 

夕食の準備をするということで

用意を手伝うことになった。

自分たちも不安な気持ちを抱えながら。

 

ご飯をもらいにくる人が、長蛇の列を作る。

このようなときは、

子供→老人→若い人という順番でご飯を配るらしい。

施設スタッフの人に

「優先順位は大切」

と言われた。

 

ご飯を配っていると、

子供には、親が付き添っていた。

 

親といっても30歳くらいの若い人たちが。

 

老人の前に、子供と同じ優先順位で

「子供の親だから、もらって当然でしょ」

という顔をしていた。

(顔だけではなく、口論になった人もいた)

 

子供連れの親に

「もう少し下さい」

と言われた時には驚いた。

 

最後の人まで、ご飯があるかどうかは現実問題わからなかったからだ。

 

最後の人が終わったと思うと、最初の方にご飯を食べた人たちは、また列に並んでいた。

 

ご飯を食べたことは、こちらはなんとなく全員把握していた。

私たちは何度も

「もらっていない人いませんか?」

と体育館を一周して確かめたから、ご飯を配り忘れるということはない。

何食わぬ顔で並び

「まだもらっていないです」

と言っていた。

 

ご飯を配っていた若い男性が

「さっき食べているの見ましたよ」

といい、少し口論になったが、すぐおさまった。

 

「おかわり下さい」

 

と子供が言ったからである。

 

ここまで正直に告白されたら、私たちは、ご飯を配るしかなかった。

 

追加のご飯が届いたのは、日付を超えた午前3時ごろだったと記憶している。

ご飯茶碗1杯分のお米がここまで美味しいものかと感動した。

 

朝になり、宿舎から帰ることができたが、

私たちが使用していたソフトボール用品が濡れていた。

津波がきていたことに、高台に避難してから気づかなかった。

 

この経験は、ボランティア活動とは言えないかもしれない。

 

しかし、私はボランティア活動をする側の経験をしたと思っている。

 

積極的に、ボランティア活動に参加しようと思い、参加したわけではないが

 

「若い人は、手伝って下さい」

と言われ、私は、手伝うことを選んだからだ。

当然、若い人でも手伝うことを選択しなかった人もいる。

 

私は、ボランティアをする側を選んだ。

「このピンチで、少しでも自分が力になれることがあるのであればやりたい」

と思って、行動した。

 

実際に感じたのは、

ボランティアをする方が、頭を下げており、

ボランティアを受ける方が、声を荒げているということだった。

 

状況・状況に大きな違いはなかったはずだ。

 

私は、携帯電話を宿舎に置いていたので、1日中家族や友人と連絡をすることはできなかった。

友人の話では、

神奈川より地元の茨城の方が被害が大きいと言っていた。

私の親戚には、岩手に住んでいる人もいるので、不安な気持ちは大きかった。

 

ボランティアをすることを選んだ人には

「もっとご飯ないんですか?」

「毛布もっとないんですか?」

「あの人の方がお米多いですよ、どうなっているんですか」

という声が多く浴びせられた。

 

きっと、ボランティアを受ける側の人が、ボランティアをする側になったら、

誰かのために、少しでも力を貸そうと思ったに違いない。

 

人は、自分のポジションや役割によって、精神的な変化が起きるものだと思う。

 

ボランティアを受ける側が、ボランティアをする側になれば、

「役割」が変わったことで、気持ちの変化が生じる。

 

ブログを読む側がブログを書く側になれば、見える世界が変わる。

スポーツ選手が指導者になれば、見える世界が変わる。

恋人が夫婦になれば、見せる世界が変わる。

 

役割やポジションによって、人は簡単に気持ちを変化することができる。

 

あの経験があったから、今、生きていることを感謝をしようと思えるんだ。

今日も、生きていることに感謝しよう。

 

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古山有則

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古山有則 koyama akinori

*作家 *軟式野球国体優勝経験ありメンタルトレーナー

*1万冊読了済み読書家

*月5000PVブロガー

「今のために、今までがある」 人生経験、読書経験の集大成を発信中。

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